プロレスファン必読!渾身のノンフィクション「2009年6月13日からの三沢光晴」が素晴らしかった。

みなさん、三沢光晴というプロレスラーをご存知でしょうか。2009年6月13日、試合中の事故でこの世を去った日本を代表する(個人的には最強の)プロレスラーです。この事故は、連日ワイドショーでも取り上げられ、プロレスファンのみならず世間にも大きく知られることとなりました。

深夜の全日本プロレス中継、中1で三沢光晴の虜に。

私は中学生の頃にたまたま夜更かしして目にした、全日本プロレス中継を見て以来のプロレスファンです。90年代の初めです。そのテレビの中で、大きな相手にやられてもやられても起き上がり果敢に立ち向かっていく男がいました。若かりし日の三沢光晴でした。もう、一瞬で虜になりました。それ以来、20年プロレスを見続けています。まだ地元札幌にいたころ、年に2回ほど来る札幌中島体育センターにも足を運びました。上京後は、地方のプロレスファンには夢の会場である日本武道館にも通い、数々の名勝負をこの目で見ることができました。そのほとんどのメインイベンターは三沢光晴でした。

そんな自分のようなプロレスファン、ましてや三沢光晴を見てきたファンにとって、この2009年6月13日は決して忘れることのできない日となってしまったわけです。その緊迫した一日と、それからのことを、関係者の証言をもとに本当に丁寧に作られた渾身のノンフィクションが、この一冊です。

amazonより引用
内容紹介
2009年6月13日に急逝した三沢光晴。あの日リング上で何が起きたのか? 7回忌の今だから語れるノンフィクション。
稀代の名レスラー・三沢光晴がリング上の事故で命を落とした2009年6月13日。当日、会場にいた選手、マスコミ、そして治療にあたった医師の証言から、あの日起こった出来事の真相に迫る。死因は即死とも思われる頸髄離断だったが、ICUでは一度心拍が再開していたという。広島大学病院の救命医があの日のICUでのことを初めて明かす。そして最後の対戦相手となった齋藤彰俊は事故から数カ月後、三沢が生前に残したメッセージを受け取っていた。「社長からのメッセージを受け取って、すべて受け止めて現役を続けるという自分の決断は間違っていないと思えました」という齋藤は「答えは自分で見つけろ」という三沢のメッセージを胸に今も歩み続けている。また、小橋建太、潮﨑豪、丸藤正道、鈴木鼓太郎、浅子覚、西永秀一ら深い関係を持つ人物たちにとって2009年6月13日からの三沢光晴はどう息づいているのか? 

「人生たらればなし」

内容はとにかく読んでいただきたいのですが、選手、レフェリー、医師、カメラマンなど、あの日の関係者に丁寧に丁寧に取材を重ねて作られた本当に素晴らしい一冊です。あの日の混乱と緊迫した状況を、その場にいるかのような臨場感で追う内容に一気に引き込まれます。

「人生たらればなし」
三沢光晴が残した言葉のひとつです。今この瞬間を精一杯生きる。誰のせいにも言い訳もしない。責任は自分が取る。そんな覚悟が詰まった言葉ではないでしょうか。その覚悟が多くのファンを魅了する不屈のファイトスタイルにも現れていたんだと、改めて知ることができました。

そして思いました。三沢光晴は今も確かに生きている、と。三沢光晴に魅せられた、我々ファンも含めすべての人の心の中に、さまざまな形で今も生きていると。

今、プロレス界がまた盛り上がってきています。新日本プロレスの一人勝ち、という状況ですが、プロレス自体がまた盛り上がってきていることは嬉しいことです。そしてこの先、三沢光晴の魂を受け継いだ選手たちが、また超満員の日本武道館で活躍してくれることを心から願っています。